こんにちは、るうさんです。
前の記事では、発症から施設に入るまでをざっくり書きました。
今回は、施設に入ってから終わりまで。
末期のアルツハイマー型認知症の様子を記事にします。
全編の記事はこちら
認知症とは?はこちらの記事にまとめています。
【実録】アルツハイマー型認知症の後期症状【後編】

まず時系列でのおおまかな12年間の流れです。
- 施設入所初期は「なぜこんなところに!」と罵声の嵐
- 家族の名前を徐々に忘れていく
- 実家や昔の話を忘れていく
- 言葉が出ない
- 日本語を完璧に忘れる
- 歩くことができなくなる
- 筋力が弱まり、寝たきり、車いす生活
- 筋力の衰えにより心臓が弱る
- 飲み込む力がなくなり誤嚥、窒息、そして死亡
特別養護老人ホームに入所しました
まだ祖母はピンピン、元気!
暴れまわったり、暴力・暴言、徘徊の日々でしたので、無理やり施設に入所してもらう形での入所でした。
性格が徐々に丸くなっていく祖母
月日は立ち徐々に病も進行し、なぜここにいるのかを忘れているようでした。
顔を出すと「あら、きてくれたのね~」なんてニコニコしているときもありました。
そして徐々に私たち姉妹の名前を言い間違えたり、母の名前を忘れたり。
でも「ちがうよ〇〇だよ」と指摘すると「あ~そうだそうだ」と納得。
少し悲しかったけれど、なぜここにいるのかを忘れて性格が丸くなった祖母に個人的には少し安堵したのを覚えています。
施設で友達も出来たようで、楽しく生活してたようでした。
お花見やレクリエーションなど楽しんでいたようです。
声かけの反応が徐々になくなり、表情が消える
また少しすると、完璧に顔は忘れているようでした。
それでも声をかけて、〇〇だよ!と目線が合うように顔を持っていくと、すこしはにかんだ笑顔のような表情だったり、目を大きく開いたり、なにかしらの反応はするけれど…きちんとコミュニケーションが取れる様子ではなくなってきました。
そしてこのころから、単語での会話が増え、文章での会話は減りました。
- 寒い
- 暑い
- 食べれる
- いらない
- トイレ
- わからない、など。
必要最低限の業務連絡のような会話だけで、「わからない」とつぶやくことが多かったように記憶しています。
このころは徐々に施設でできた友達も減っていき、そのことでもストレスを感じて病も進行したのではないかと今になって思います。
筋力の低下、急激なやせ衰え
表情も消え、完璧に単語を話すことをしなくなり、「あー…」「うー…」と擬音を発するだけ。目もうつろで車いすに座り、一点を見つめるだけで一日が終わる。
会いに行ってももうそこに昔の祖母の面影はゼロ。
体も一回りも二回りも小さくなり、手足は枝のように細く、生気が感じられませんでした。
そして…
そんな状況が5年以上は続きました。
そして、その日はやってきました。
心臓が止まった!と一報が。そして救急搬送。
一時心臓は復活しかけたかに見えたが、やはり力尽きそのまま天国へ。
ありがとう。そして、恨まないでほしい。
そして、ここまで尽力してくれた施設の方々、周りの方々
本当に、ありがとうございました。
おわりに
おしゃれでブランド好きで、お化粧も好きで、散歩や旅行もおしゃべりも大好きだった祖母。
認知症の予防策である規則正しい生活・食生活・運動。それをすべてやっていたような祖母でした。
なのに、なぜ…。
正直怖いです。
母の夢にさっそく出てきたようで…第一声は
「今度はどこに遊びに行く!?」だったようで、なんだか安心しました。
あの世があるかは定かではないですが、飼っていた愛犬、先に行った親友、祖父と散歩したりおしゃれしたり、旅行やグルメを楽しんでいるのでしょうか…。
だったらいいな。