こんにちは、るうさんです。
今年の6月に祖母が亡くなりました。長年認知症を患い、最期は老衰と誤嚥による窒息でした。
- 祖父が亡くなって19年
- アルツハイマー型認知症にかかり15年
- 特別養護老人ホームに入り12年
自分自身も中学生の時期で細部は覚えてはいませんが、すごく辛かったので参考になればと思い記事にします。
- 認知症について、チェック方法や予防について知りたい方はこちら
- 施設から最期までの後編はこちら
今回は認知症発症から施設に入る約3年間の初期症状を振り返ります。
認知症の初期症状と対応

認知症とは無縁の人だった祖母
母は早くに離婚し実家に帰っていたので、孫にあたる私は祖母や祖父と一緒に暮らしていました。
母は働きに出ていたので、実質母親役は祖母と祖父でした。
炊事、洗濯、家事のすべて祖母の担当で、バリバリこなすスーパーパワフルおばあちゃんでした。
そして、19年前に祖父が死去。
そこから祖母は少しづつ変わったのです。
歳を取ればもの忘れなんて当たり前
本当にささいな事。
こんな何気ない会話で認知症は疑わないですよね。
- 今日って〇〇日だよね?
- 今日って〇〇曜日だよね?
- 今〇〇時だよね?
- 洗濯は取り入れたっけ?
- 新しいお醤油は昨日買ったっけ?
年寄になればもの忘れもそりゃするだろう、程度のことです。
むしろ当時60代だったので「普通の事」と思いました。
もしかしたら病気かもしれない…
おかしいかも?と思うきっかけが、
- 30分に1回は時間を聞いてくる
- いつも同じメニュー
- いつも同じ服を着ている
- 用事もないのに同じところへ行く
- 謎に暴言を吐く(性格が変わる)
などです。行動がパターン化されます。
ここで家族は「おかしい」と気づきます。
病院へ連れていき、チェックしてもらう
さすがに…と疑わざる負えなくなり、病院へ。
そこで「アルツハイマー型認知症」と診断されました。
まだ初期。
薬で進行は遅らせることはできるが、治ることはない。
このときはまだ「薬でマシになるなら大丈夫かな~?」なんてのんきに考えていました。
どんどんひどくなる認知症
いつも同じメニューが食卓に並び、同じことを聞かれ同じルーティーンを何度も繰り返します。味もどんどんおかしくなり、あっま~い煮物や、しょっぱい煮物が並びます。
祖母は暴言が突出するタイプで、かなり暴言を吐かれました。
それでも家族はそれぞれ生活があります。学校に仕事。
いきなり介護します!なんてできませんよね。
家族が指摘しても暴言タイプの認知症は反論・暴力を振るってくるので飲ませることも至難です。
その間に認知症は進む一方です。
ついに家族も限界を迎える
日々の生活を送りつつ、やはり家族にも限界はきます。
ノイローゼ、鬱です。
病を患っている祖母が一番つらいのはわかりますが、それを間近に見ている家族もつらいです。本当に。
いつか、祖母を…。と話し合ったのは忘れません。
介護疲れなどでニュースになっている方々の心労は計り知れません。
でも、理解はできます。
一番手っ取り早くみんな楽になれる。
病を患っている本人も、介護してる家族も楽になる。
推奨しているわけではありません。しかし、気持ちが痛いほどわかるのです。
そのころは祖母はデイサービスなど通っていたころです。
そして私たち家族もノイローゼのピークでした。
そして実家とは別に家を借りました。
距離をとる
母がマンションの一部屋を買い、物理的に祖母と距離を取りました。
心の平穏。すばらしい。感動したのを覚えてます。
近くに家を構えたので、何度も何度も別の新しい新居で心の平穏を取り戻してから祖母の住む実家へ面倒を見に行く往復生活です。
真に受けず、無視や適当に接するのが一番いいです。
そして施設へ
往復生活も半年は過ぎるかどうか…しかし、夜間や仕事や学校の間など、どうしても見れない時間があります。徘徊や火の元が危ないので、結局は老人ホームに入れました。
老人ホームも全く見つかりません。
1年以上は探し回ってた記憶があります。
まとめ
3年間で人は変わります。
- 顔つきも
- 性格も
- 言動も
すべて変えさせてしまうのが認知症の怖いことろです。
次回は老人ホームに入って亡くなるまでを次の記事にします。